②くげぬま探検まち歩き2023🚶♀️松の杜くげぬま編
2023年9月29日 鵠沼駅から出発した「とことこ探検隊」12名 別荘地時代の名残を探して松の杜くげぬまへ到着
松の杜くげぬま 藤棚前で記念撮影
「明治維新以前の鵠沼村」鵠沼郷土資料展示室資料より
![](https://tokotoko.or.jp/cms/wp-content/uploads/img_2555-scaled.jpg)
「明治15年鵠沼村の測量図」鵠沼郷土資料展示室の資料より
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1872年明治13年 鵠沼小学校開校(普門寺の寺子屋)
1886年明治19年 鵠沼海水浴場開場
1887年明治20年 東海道線開通(横浜駅~国府津駅)
1889年明治22年 日本初の分譲型の別荘地開発がスタート
1892年明治25年 伊東将行が東屋旅館を創業
1902年明治35年 江之島電気鉄道(藤沢駅〜江ノ島駅間)運転営業開始
1914~1918年 第一次世界大戦
1923年大正12年 関東大震災
1929年昭和4年 小田原急行鉄道 江之島線開通
鵠沼海岸別荘地開発の歴史
鵠沼南東部は「江戸幕府の射撃訓練場」として住まいも田畑も禁じられていた非居住地域!今のような人気の住宅街になるとは誰が想像できたでしょう
明治維新により旧鉄砲場の土地が、1区画3,000坪で払い下げられ、25万坪を取得した大給(おぎゅう)松平子爵の土地を中心に、東屋旅館の創業者である伊東将行(いとうしょうこう)が開発スタート!
「 人力車とハイヤー」左が尾日向邸? 大正12年に東久邇宮妃殿下が鵠沼にいらっしゃるのを歓迎して道幅を広げた 鵠沼郷土資料展示室の資料より
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鵠沼を象徴する国登録有形文化財「松の杜くげぬま」
1928年昭和3年築の歴史的建造物 尾日向邸(築95年)を尾日向多津子さんに案内していただきました
現建物は複数の所有者を経て、昭和23年に実業家の故 尾日向竹重氏(多津子さんのお義父様)が住み始めたそうです
日本初の計画的別荘地として、1区画3000坪で分譲された敷地は境川まで続いていました
後に市に寄付した敷地は「下藤が谷公園」になり、敷地の一部を分譲して現在の敷地は700坪
維持管理にかかる費用は高額で固定資産税だけでもかなりの額だとか
![](https://tokotoko.or.jp/cms/wp-content/uploads/img_3147-1-scaled.jpg)
昭和初期の凝った造りの玄関ドアは当時のデザインそっくりに復元したもの 玄関脇には女中部屋があったそう
藤沢市の保存樹木 20m級の黒松が数本 桜、藤棚、菖蒲池、紅葉、梅ほかが季節を彩る
青々と茂る木々 別荘地開発が始まる約130年前まで荒れた砂地だったとは思えません
洋館(右)と和館(左)がつながる建物 屋根は今では同じものを入手できないフランス製の瓦
縁側に置かれた絵日記が面白い! 多津子さんのご主人が小学生の時、庭から舟に乗り江の島や引地川まで遊びに行った様子も描かれています
先代は実業家の故 尾日向竹重氏 政財界の来客も多く訪れたそう
絵画や調度品がひしめく応接間
相続を機に価値がよくわからないまま、国内外のお宝をかなり手放してしまったと多津子さん
麗子像は鵠沼で絵を描いていた岸田劉生 のドラマロケ地になった際に寄贈されたレプリカ
2018年 国登録有形文化財に
2019年〜 松の杜くげぬまの保全活動開始
尾日向梨沙さん(多津子さんの娘さん)が中心になって保全活動中
洋間から和室へ移動 探検隊の皆さんとホッとひと息
松の杜は地域交流の場
維持管理のために庭や部屋を貸しスペースとして活用しています
人が入ることで風が通り、維持管理費用の捻出にも繋がり、コミュニティースペースにもなるといいことづくめ✨
業者にすべて依頼すると莫大な費用が掛かるので、ボランティアの方と庭の手入れや室内清掃を毎月開催しています
満開の桜や藤棚、菖蒲池など四季折々の美しい庭を眺めながら美味しい食事も味わえるというご褒美付きのボランティアは笑顔あふれる交流の場にもなっています🍺🌸(筆者の私も何度かご一緒させていただいています)
鵠沼は住み続けたいまちとしてランキング常に上位!リモートワークも引き金になり移住者が増え続けています
一方、広いお庭の手入れや老朽化する建物の管理が重荷になったシニア夫婦が駅前マンションに引っ越したという話もよく聞きます
時代とともに大きなお屋敷が次々と分譲され、景色も変わってきました
鵠沼の歴史と景観を象徴する「松の杜くげぬま」がいつまでも続きますように
寄付・貸しスペース情報・ボランティア募集については尾日向梨沙さんの記事をどうぞ
https://shonan-garden.com/?p=35975
これぞ鵠沼!松の木と玉石が多いのには理由があった
♦開発を機に草木も生えない砂地に飛砂防止や敷地の境界目的のために植えたのが塩害に強いクロマツ
♦玉石は、100年前の関東大震災時に根府川の山津波により大量に流出した石を復興支援の一環で買い取り石垣にした物だそう
長く住んでいても知らないことってたくさんありますねぇ
風光明媚で温暖な鵠沼は、今や住み続けたい町ランキング上位と大人気!
たった130年前までは草木も生えない広い砂丘と砂原が広がっていたというから驚きます
砂地に松の木を根付かせることだけでも試行錯誤の連続だったそう
戦争、震災、台風や洪水に何度も泣かされながらも、鉄道、道路、電気、水道、ガス、下水道などを普及し住みやすい町を作り上げてきた先人たちのご尽力に感謝して日々を過ごしたいと思います✨
長文にお付き合いいただきありがとうございます。
~まだまだ楽しい探検は続きます~
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くげぬま探検まち歩き
①鵠沼駅~賀来神社編 https://tokotoko.or.jp/20230929-2/
③天金通り~東屋旅館跡~うさぎ屋編 次回の投稿をお楽しみに
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2022年に尾日向梨沙さんに案内していただいた際の投稿👇
濱田 年古(@tokotoko88888) • Instagram写真と動画
【取材ご協力・情報提供】松の杜くげぬま尾日向多津子さま・鵠沼郷土資料展示室・鵠沼を語る会・藤沢観光ボランティアガイド・有田商店・海津金物店・大久保豆腐店・鵠沼駅前郵便局・渡辺酒店 ほかご協力いただいた皆様ありがとうございました
ディープな鵠沼で皆様とお会いできるのを楽しみにしております!
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