くげぬま探検まち歩き2025

9月30日(火) 9時
前日までの暑さも和らぎ、今日は遠足日和🌞鵠沼市民センターに和服姿のご婦人方の登場してパッと華やぎました。
直前キャンセルもありましたが、総勢11名でとことこワクワクの時間を過ごしました。
まずは郷土資料展示室前で鵠沼の歴史をざっくりご紹介!

縄文時代は海の底
すでに江ノ島はあったものの、今より海面が高く、藤沢市の大半は海の底。
弥生時代の鵠沼遺跡
弥生時代になると海退と砂の堆積で鵠沼地域も陸化が進んだ。下藤が谷や、鵠沼神明地区の万福寺や日本精工辺りで弥生時代の遺跡や土器が出土している。
鵠沼と呼ばれはじめたのは平安時代?
平安時代になると鵠沼という地名が文献にあらわれる。
鵠沼の地名の由来
境川・引地川・鵠沼海岸の三方を水に囲まれた鵠沼地域には湿地や沼地が多かった。鵠(白鳥の古名=くぐい)が集う沼、くぐい沼、が地名の由来だといわれている。
江戸時代は立ち入り禁止の砂丘!
広大な砂丘が広がっていた鵠沼南東部は幕府所管の鉄砲や大砲の練習場として、立ち入り禁止区域に指定され民家や田畑を作ることも禁じられていた。
人が住めるようになったのは明治時代
日本初の大型別荘分譲地
1区画、約3,000坪(約9,917平方メートル)という広大な敷地で計画的に分譲開始。
療養目的の海水浴場
明治19年、東海道線の開通に合わせて鵠沼海岸海水浴場を開設。温暖な気候と潮風と海水が健康に良いと、結核などの療養地としても人気になった。
明治35年、江ノ島電鉄開通
別荘地の開発も進む。風光明媚な景色が愛され、多くの著名人や文化人も訪れる高級別荘地となっていく。
大正12年、関東大震災の被害
鵠沼は約6メートルの津波があったが、さらに壊滅的な被害を受けた都内からの移住組も増えていった。
昭和4年、小田急江ノ島線の開通
版籍奉還で鉄砲場が民間に払い下げられた。当時の広大な土地の所有者は旧松平家の大給・おぎゅう子爵。伊東将行を中心に、鵠沼海岸別荘地の開発が始まる。(賀来神社に開発記念碑あり)
交通の便がよくなり、人気の住宅地に移り変わっていく。
住み続けたいまち『鵠沼』に
今も昔も鵠沼を愛する人が多く、移住者も後を経たない。洪水や震災、戦争などの困難を乗り越え、まちづくりをしてきた先人たちのおかげだ。
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いざ、探検スタート!
鵠沼の歴史や防災についてもふれながら、文豪の聖地「東屋旅館」や別荘地時代の名残りを辿って歩いてみた。

東屋旅館の海浜口にあった門柱が、鵠沼市民センター裏口側に移設されている。

『東屋』海浜口の石畳と門柱跡
教科書に名を連ねる文人達もこの道を通って海へ行っていたと思うと胸が高鳴る。

旅館東屋の跡地の記念碑

海まで続く敷地内には、船遊びもできるような大きな池があったというから驚きだ。
文学史を彩る文豪達が東屋に逗留した。
芥川龍之介は精神を病みながらも、鵠沼海岸を舞台にした『蜃気楼』を書き終えた。その半年後、昭和2年7月24日、35歳で服毒自殺をしたと言われている。

国分グループの広大な敷地前で記念撮影
別荘地開発時のような、大きな区画のまま現存する敷地は珍しい。松や玉石垣に当時の面影を感じる。

肥上げ道(こえあげみち)
江ノ島や片瀬の旅館街の糞便を、辻堂村の農家の肥料にするために運んでいた道。
鵠沼最古の旅館『鵠沼館』跡地、(現オーシャンプロムナード)の脇を通り、引地川の日の出橋を渡るルートで、当時は道沿いに堀川が流れていたが道路の拡幅などにより暗渠化されている。

『鵠風荘』織物工房を見学

入り口に美しい糸が並ぶ

織物教室も開催されている工房の亭主・淺井祥子さんに案内をしていただいた

昭和17年築『松香荘』
当時の地名は『鵠沼村字下鰯』、海が近い漁師町らしい名だ。2010年の竜巻で瓦が飛ばされ屋根を葺き替えた以外は当時の外観のままだという。
この辺りは関東大震災の津波被害経験から、道路面より、かなり盛り土をして家を建てているのが特徴的だ。

平間表具店
創業は戦後、高度成長期に保養所や社宅などもどんどん増えて大忙し!住み込みの見習い職人もいた。商店街にはガラス屋、材木屋、本屋、葬儀屋まで揃っていた。時代が変わり、住宅事情も仕事も変わった。今はお寺の襖や障子、畳などの張り替えのほか、何でも屋さんのように、多様な依頼に対応しているのだと奥さんが教えてくれた。

レトロな映画館『シネコヤ』昔は神田スタジオという写真館だった

線路は道路よりかなり盛り土されている。水没予防のためだろう

湘南西脇画廊
この日、西脇画廊は休みだったがご厚意で特別に案内をしていただいた。

この辺りは下水管が古くて細いこともあり、大雨が降ると目の前が川になり、ご近所の池から鯉が流れ着いたこともある。浸水に備えて慌てて2階に畳を上げたりと大変だった。建て替え時に1.5m盛土をしてから被害がなくなった。今は藤沢市の依頼により津波時の避難所にもなっているという。

特別に見せていただいた日本画家・小泉淳作氏(鎌倉建長寺「雲龍図」や、京都建仁寺「双龍図」で知られる)の作品は圧巻!
西脇画廊の看板の文字を描いたのも淳作氏だったことや、作品の貴重な裏話も伺い、「へぇ!ほぉっ」と感嘆の声が上がった。
菓子工房Pace(ぱぁちぇ)
アレルギー対応の誕生日ケーキなどの注文も引き受けてくださるスイーツのお店。

大雨で店の前の道路が川になった。写真奥に鵠沼海岸駅の踏切が映っている。

道路とは思えない光景!

パーチェ前の止水板 これをセットしていないときに店内まで水浸しになったそうだ
近隣のお店にも止水板が設備されている。
鵠沼公民館で、土嚢を無料配布しているという情報も教えてくださった

↑鵠沼海岸地蔵尊
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休憩処は東屋跡地すぐの古民家「うさぎ屋」さん。昭和2年築、間も無く100年になる建物で、ゆったりと時が流れていく。

庭を眺めながら、文豪気分でお茶をいただいた後は、店主の芥川みちよさん作のガラス工芸品や、アンティーク雑貨、リサイクル着物などのお買物も楽しんで皆さん大満足!
いつも通っていた道だけど、初めて知ったことばかりで面白かった!勉強になった!
との感想もいただきスタッフも自己満足のまち歩きになりました。
ご協力いただいた皆さま、参加者の皆さまありがとうございました。

